革靴を大事にするってことは、亡くなった動物を愛でるということ

革靴をぼくが好む理由として「人間のために死んだ動物を余すことなく使ってる」ということがあります。作るために殺されたのか?それとも死んだから使ったのか?と、どっちが前提かはわかんないけど、革靴のルーツとしては食肉用としてお命ちょうだいした動物の残り皮を使った…って説がある。

ぼくが動物愛護論者ではないし、動物愛護を言ってるほとんどの人間がなんだかんだ動物の命をいただいてる矛盾もあるのでキリがねーなって思ってます。が、生きたまま皮を剥ぐ残虐さはいかがなもんか?とは思います。

革靴のルーツは動物の死骸の残りを使ったエコなもの

で、革靴ってのはルーツ通りに言えば、食べるために殺した動物皮を使ったエコなものなんです。で、革靴を作る工程で鞣しがされてるので、動物の皮といえども腐らないし、しっかり手入れすれば10年20年と履ける優れ物。

最近は買って捨てて、買って捨てての大量生産大量消費っていうどうにも無駄の多い時代ですが、革靴に関してはいいものを5足持ってれば修理しながら履いていけるんです。一回買えばしばらく買わなくてもいいわけです。

 大量消費時代の革靴は劣化してしまった

さっきも言ったように今は大量消費の時代なんで、おそらく昔と違い機械が機械的に作ったり、薬品たっぷりの鞣し技術を使ったりなどしちゃってると思うんですが、共通してるのは「命があった動物の皮」を使ってるってこと。

これをね、雑に使ってちょっと汚れたりソールが磨り減ったからって買い換えるのってなんか可哀想だなーって思っちゃうんですよね。もし自分の皮を使われてたら?って考えると、嫌だし。使い捨てなんてね。

どこの牛さんか馬さんかわかんないけど、この靴になるために死んでくれたわけじゃん。で、足を守ってくれるわけじゃない。それをただのファッションツールとして乱用して飽きたらポイ。ってのは馬さん牛さんが報われねーよって。

革靴を大事にするということは動物の命を愛でること

だから、もうそこに命はないけれど革靴を大事にするってことは亡くなった動物を愛でるってことなんですよ。

革靴は(合皮は革靴ちゃいます)一度買えば何年でも履けるので、本来大量生産する必要がないんです。あんな店頭にズラーッと並べる必要もない。お父さんが履いてた靴を子供に受け継ぐレベルで履いていけます。だから大事にしましょうよ。牛さん馬さんの形見っすよあれは。歴史があるんですよ。

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ヒキコモリズム井上がヴィンテージの革靴が好きな理由

ぼくがヴィンテージの革靴や古着が好きなのもここに理由があります。だって新品じゃなくってもいいじゃん。70年前の革靴が現代にまだ残ってるってすごくない?それくらい長持ちするのよ。ぼくの履いてる革靴は全てぼくの父親と同い年くらいです。

つまりそんくらい履いていられるってことです。革靴をしっかりリレーしていけば、いろんなものを大事にできるわけですよ。思い出も、牛さん馬さんの形見も。お金使う必要ないし、無駄に生産する必要もない。ファッションのために動物殺す必要だってないじゃん。

10年20年履ける革靴へ「育てる」

ぼくはいま履いてる革靴をぼくがヨボヨボになるくらいまで履いてられたらいいなって思ってます。で、子供に譲ってみたい。ぼくが革に刻んだ歴史がリレーしていくんですよ。ロマンじゃないですか。

服も、靴も、ユーズドをうまく使えばいいんですよ。古着を大事にするってことは、そのために摘まれた=つまり死んだ綿などの植物の命を愛でて、リレーするのと同じことです。

新品絶対主義ってのは、そうした方が儲かる人らがいるからそういう概念を植え付けられてるんですよ。新品なんてなくてもいいくらい、服も靴もたくさんあるんですよね。家も。まずは手始めにいま履いてる革靴を、大事にしませんか?

こんなに傷ついた革靴もここまで変わります

Before
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こんなんなっても…

After
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こうできますから。

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