エリオット波動論:リチャード・ラッセルの言葉がなにかと胸に刺さる

先日おすすめしたFXやりたい奴はまずこれから読もうぜ!って紹介した本の中のエリオット波動についての本ですごい気になる一説があったのでぐいっと引用してみよう。これね、刺さるな〜。

エリオット波動論著:リチャード・ラッセルの言葉

それだれ?ってのはググるかなんかしてください。まあアメリカの経済論者ってイメージです。この方のセリフが上記の本で引用されてたんですけど「あーそうなんだよね。」って思って。思わずメモった。

「もしもすべての人が自分自身に責任を持てば 、全世界の問題は解決されると私は確信している 。何百人の人に話しかけてみると 、自立し 、自らの人生に責任を持ち 、自分のすべきことを実行し 、 (ほかに人に危害を加えるのではなく )自らの痛みを受け入れている人は 、 5 0人のうちひとりもいない 。

こうした責任をとらないという風潮は 、金融界にも及んでいる 。今の人々はお金を支払っているかぎり 、すべてのことに対して自らの権利を主張する 。働く権利 、大学に行く権利 、幸福になる権利 、 1日に 3回食事をとる権利 ― ―などである 。

いったいだれがそうした権利をすべての人々に約束したのだろうか 。自由が許可証となってほかの人に危害を加えないかぎり 、私はあらゆる種類の自由を信じるが 、今のアメリカ人は自由と権利を混同している 」

どうですか?これ読んだ瞬間ぼくは「せやねん!みんな人のせいにしすぎやねん!」と思わずうんうんと。そうなんですよ。現代はこれでもか!ってくらい自由なんですけど、自由と権利を混同しすぎてるんです。

権利や報酬は与えられているけど「保証」はない

権利とかリワードってのは、確かにそこに与えられてるけど「保証」なんてもんはされてないんですよ。そもそもね。1日3食食べられるってのは勝手な思い込みであって、それを保証はされてないし、働く自由はあれど働く権利は保証されてませぬ。

学校に行く自由はあれど、それは権利ではないし保証はされてませぬ。みんな権利ばかり主張して騒ぐけどさ、それってだれも保証してないから。権利があるから誰かがなにかしてくれるってのは違うぜ。権利は「自分がそれを行う自由が与えられてるってだけ」だよ。

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全ては「自由」だけど全てが自己責任

全て「自分の自由選択」なわけで。誰かに権利を行使しろー!なになにをよこせー!って騒いだところで、その権利はだれも保証などしてくれないのですよ。てめーのケツはてめーで拭くってのが自由でしょ?

この記事でも訴求しましたが、金を払ってるから権利がある!なんて考えは違うんですよ。それは自分が金を払ってサービスを受ける自由を行使しただけで、権利じゃない。金は権力じゃないんだよ。サービス提供側も、サービス提供は義務ではなく金をいただいてサービスを提供する自由を行使しただけ。

参考記事:お客様精神なんてもんはクソの役にも立たないからさっさと捨てちまえ – ヒキコモリズム

人間ひとりひとりが自分に矢印を向ければいろんな問題が解決される

今生きてるひとりひとりが「自分のことは自分でやる。人に権利ばかり主張して他人に依存することをやめる」ようになったらいろんな諸問題が解決されるんですよ。

ハロウィンの渋谷のゴミ問題も「どうせ誰かが掃除すんだろ」的なリテラシーの低さが起こすものでしょ?自分のゴミは自分で責任もつ!って考えならゴミのポイ捨てはしないはずよ。

環境問題も、なにもかも。ひとりひとりの「誰かがやる。俺は悪くない」という怠慢が引き起こしてるわけじゃん。それがチリつもってでかい問題になってるわけでしょ。

自由とは他人に求めるものではない

メディア見ても「誰々が悪い!なになにを解決せよ!」って他人を言及するものばかり。全員が「ぼくは悪くない!あいつが悪いからあいつがどうにかしてくれるんだ!やれー!」って考えてる。

でも他人は自分の自由も権利も一切保証してないし、する必要がないんですよ。全ては自分たちの自由選択の結果なんです。責任を他人に求めたところでなにも起きやしないのですよ。

自由とは権利を主張して他人に言及することではありません。自分の責任のもと全ての選択ができるってだけです。その結果は全て自分の選択の結果で、誰も保証してくれません。自由と権利は違うんだぜ。