「どうせ死ぬ」という言葉は人生を楽にする魔法のことば

人はみんな死ぬ。

これはどんな人間にも訪れる共通のゴールなわけだけれど、これを意識して生きている人ってあんまりいない。どんな人生であれ、最後はみんな等しく死ぬ。例外はない。

もちろん医療の進化で寿命は延びてるし、もしかしたら未来は脳内の記憶をAI化し、細胞からクローンを作ってそこに転送することでいつまでも生き続ける…なんてことは起こりうる。し、普通に不老不死のなるものが実現するかもしれない。

でも、今の所人は確実に死ぬ。

そして、ぼくは常に「どうせ死ぬ」と思い、今を生きている。ネガティブな方ではなく、ポジティブな意味でだ。ぼくは「どうせ死ぬ」という言葉が大好きだ。この記事ではこの言葉のすばらしさを描いていく。

「どうせ死ぬ」は死を意識できる言葉

さきにも書いたように、人、命はいつか滅びる。死ぬ。でも、それをリアルに意識してる人はいない。明日死ぬ可能性だってあるけど、多くの人は同じように明日がくるもんだ、と思ってるはずだ。

だからのうのうと生きてしまったりするし、人の死に無関心だったり、やりたいことをいつまでもやらなかったりする。それは「未来がある」と錯覚してるからだ。

ここで「どうせ死ぬ、いつか死ぬ」と考えてみてほしい

それは明日かもしれないし、今日いきなりかもしれない。その可能性はゼロではないわけだ。ぼくもこの記事を書いた10分後にいきなり死んでるかもしれない。可能性はゼロではない。

そうやって考えると「死」というものがすごく身近に感じられるはずだ。すぐ隣に迫ってるように感じられるはずだ。不可抗力的に、理不尽な理由で、人はいつでも死がとな合わせなのだ。現代はそんな気がしないけれど、今乗ってるバスが転覆して….という可能性はある。

帰る家があり、毎日いく会社と同じレベルで、死は身近にあるものなのだ。

「どうせ死ぬ」と意識すると、やる気になれる

どんな失敗だらけの人生でも、どんな成功だらけの人生でも、等しく最後は死んで無になる。死に方の違いはあれど、死んだら等しく無。天国も地獄もない。たぶん。

つまり「死」というのはプラスもマイナスもなく、すべての生物が同じところに帰結する限りなく平等に近いものだ。死に方の違いはあれど。

ぼくもどうせ死ぬ。あなたもどうせ死ぬ。死んだら無になる。全部リセットされる。じゃあ、あれこれやっといた方がよくね?というノリだ。どんなでかい借金しても、嫌な思いしても、どんな良い思いばかりの人生でも、死んだらすべてなくなるのだ。持っていけない。置いてこれる。

じゃあ、とりあえずやってみようか?という感じだ。「どうせ死ぬ」という観点で見ると、人生で起こるすべてが大したことのないように思えるのでおすすめ。

恋人にフラれても仕事がうまくいかなくても「どうせ死ぬ」

つらい別れは人生につきものだ。

でもそんな別れをしてもどうせ死ぬのだ。そしてその思い出も、すべて消える。その程度ものだ。そして死を終わりとした一つの物語とすると、その別れは人生を彩るただのイベントと化す。

映画でいう主人公の苦悩シーンのようなものだ。それがあるから人生がおもろくなるのだ。

同じように、そんな別れがあっても時間がたてばどうせ新しい恋人ができる。そんなものなのだ。そしてそれができたとしても「どうせ死ぬ」。すべてゴールから見たらただのイベントであって、深い意味はなくなる。単純に自分映画をスクリーンで見てる気分で楽しめるようになる。

仕事に関しても同じだ。

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「どうせ死ぬ」という言葉は優劣や嫉妬をなくす

人は人と比べる生き物だ。これはもう性といっても過言じゃない。

そして勝手によくわからない優劣をつける。肌の色、考え方、仕事、収入などで優劣をつける。で、勝手に羨望したり嫉妬したりしてよくわからん問題を起こす。足の引っ張り合いとかいろいろ。

でもさっきもいった通り、あなたもわたしも死ぬのだ。つまりすべては同じように終わる。ということは、今の優劣は大したことないのだ。一時的なもの。嫉妬しようと羨望しようと、それらをされようと、どうせ終わる。

そこで有頂天になることも、自分は生きてる価値がない…なんて思ってしまうこともなくせるわけだ。この言葉は不思議な言葉なのだ。

いってしまえば世界一の大富豪も、死ねば仏だ。世界一の大貧民も、死ねば仏だ。金も名誉も死んだあとは関係ないのだ。だから、現世の優劣を考える必要は一切ない。ただ死ぬまでを楽しめばいい。

「どうせ死ぬ」から、淡々と生きられる

上につながるけれど、どうせ終わるわけだから淡々といきればいいのだ。他人と比べて感情が上下するなんて本当に意味のないささいなことだし、それで苦しんだり、喜んだりする必要はない。

けっきょく人間が決めた価値判断の基準であって、生物的にみたら大差ないわけだ。

だから、自分の思う人生を好きに生きたらいいのだ。他人と比べたり、他人の声を機にする必要はない。たとえばあなたよりいい感じの人生を歩んでる人がいたとして、でもその人が今日死んだとしたらどうだろう?明日あなたが生きていれば、そっちの方がよくないだろうか?

つまりすべて「死」をベースに考えると一時的なものなのだ。自分ごとにおいても。だから、起こることすべて気にせず淡々といきればいい。

死ぬことは怖いけど、前向きにとらえよう

かといって自分で自分の命を奪うなんてことはよくない。死は自然としかるべくタイミングで訪れる。早いか遅いかの違いはあれど。

だから、自分で自分の命を奪うことはしなくても、しかるべくタイミングで起こるから、もし今死にたいくらいきついときでも淡々といきればいい。ただの人生の中の短い期間のイベントだ。映画のシーンとでも思っていきればいい。

そんで、死ぬタイミングが来たらそれもそれで受け入れればいい。生物的にそのイベントはさけられないわけだ。逃げようと思っても逃げられない。もちろん病気だとかの場合、治す努力はした方がいいし、生きてる方がそりゃいいだろう。でも、死を控えても悲観する必要はそこまでない。

よく、余命宣告されてから急激に衰弱していくなんて話を聞くけど、これは死を重く捉えすぎるあまり、メンタル的に自分で自分を殺してるんだと思う。病気はメンタルが大きく左右するからだ。

「どうせ死ぬ」という言葉は人生を楽にする魔法のことば

ぼくはこの考え方で普段を生きている。

だから、無駄に生きようとも思わないし基本的にはやりたいことはその人うちにやる。言いたいことはいう。やりたくないことはなるべく避ける。で、いつ死んでも「まあよかったかな。ああ、生きた生きた」と思えるように準備している

一時的な損とか没落も、そのときはつらいけどゴールから見て「お〜俺苦しんでるなあ」と見るようにしている。一時的な成功も「お〜なんかうまくいってんなあ。」という感じで見ている。

最終的に行き着く先は一緒だから、そんなものなんだ。そう思うと、人生ってなんか楽だなって考えに変わるのでおすすめだ。

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