ぼくがフリーランスになったきっかけは19歳のあの日だった

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最近、いろんなことを考える。こないだ考えたのはこれ。「そういえば俺、なんでフリーランスになる!って決めたんだっけ?」と。そのルーツだ。そのあとサラリーマン、離婚…という経験から最終的にフリーランスになったわけだけど、ルーツは19歳のある日にあったのだ。

その日、19歳のぼくはどこでなにを感じたのか?をかきつづる。おもしろいのは、紆余曲折あっても最終的に行くつくところに行くのが人生ってことだ。

19歳、大学中退ニートの井上は渋谷で変なおっさんに会う

当時のぼくはmixiでいろんな情報収集や女の子あさりをしていた。当時はmixi全盛期で、まだFacebookなども知らず。ジャパニーズはみんなmixiだった。当時からSNSをいろんな意味で活用してたぼくはこう考えた。

「あー、なんか人生変わる出会いとか(あわよくばかわいい女の子との出会いも)ねーかなー」

当時はまだ若気のいたりでサラリーマンなんてクソな生き方だ!と思っていて、できれば自由に生活してたかった。その方法はないのか?を模索してたのだ。そのときは渋谷道玄坂のバグースでビリヤードをしていた。

そんなとき、メッセージがぴろりんときた

そのメッセージにはこう書いてあった。

「ビリヤード大好き!グループからきましたー!今渋谷いるんですがビリヤードやりませんか?」と。

なんとなくそのおっさんが気になってOKする。そしたらすぐにバグースにきた。軽く挨拶&飲み物を注文して、少し談笑。そのときに木になって仕方なかった。

なんでこのおっさんは平日のこんな時間に渋谷ふらついてるの?

ビリヤードがクッソうまいおっさん

そしていざプレイになったらびっくり。うますぎワロタ。プロかよ。順番こねーよガチかよ。当時友人間ではそこそこできるプレイヤーだったけど、芋虫レベルだった。聞けば毎日ビリヤードやってるとか。どゆこと?

ぼくは不思議だった。ぼくの中でおっさんってのは平日は会社勤務してて残業ばっかで死んだ顔で電車にのって金曜日だけやたら元気な存在だったからだ。でもこのおっさんは毎日この調子らしい。しかも家族持ち。意味がわからない。

ヒキコモリズム
家族持ってんのに毎日ふらふらしてどうやって都会で食ってるの?

おっさんは言った。「ぼくには秘密があるんです」と。

ぼくは自己中なB型だ。気になったら知らないと気が済まない。漫画は一回読むと一気に読まないと気が済まない。そんな性格。だから超しつこく聞いた。でも教えてくれない。でもそんなの許さない。

ぼくはおっさんの携帯を奪ってこういった。

教えてくれるまで携帯返しませんよ?

ただの脅迫だ。やっちゃいけない。笑

おっさんはいう「じゃあ、明日の昼にここにきたら教えるよ」

知りたくて仕方がないぼくは、OKした。なんかある!と確信めいたものがあった。そしてそれがぼくが求めてるものに近い…というなにかこう、そういうものがあったのだ。

翌日、その場所に行くとおっさんがいた。おっさんは相変わらず陽気にはなしかけてくる。その感じが心地いい。圧迫感ある大人としか関わってこなかったから。

そのビルは渋谷の一等地で、NHKの目の前にありたくさんの人がいた。なんかの集まり?ビルの中は広く、いたるところにいろんな設備があった。こんなでかい建物なのに今までまったく気づかないとはなんだこと建物は。

そこはAmway本社ビルだった

そのときは「あむうぇい?ふーん、なんかの会社か。」程度だったけど、それまた気になって仕方がないぼくは根ほり葉ほり聞いた。そしたらネットワークビジネスという仕組みで口コミを使って流通を起こす会社であり、個人がそれを行えるモデルと聞いた。

普通だったらここでネガティブな発想が浮かんで「ねずみ講?」などと思うのだろうけどぼくは素直に「すっっげえええええええ!こんなのこの世にあったの?」という感覚だった。ネットワークビジネス=ねずみ講ではないのはすぐに理解できたからだ。

それよりも「選択肢」が広がったことに感動した

誤解のないように言うけど今はこのビジネスはやっていない。昔はやってたけど。というかぼくにこの手の商売は向いてない。人が嫌いだから。笑

まあそれは置いといて、当時はとにかく「サラリーマン以外でなにかないのか?」と探してたのだ。今ほどネットでいろいろできる時代ではなく、情報源も少なかった。だからぼくはこの「サラリーマン以外で収入が得られるものが存在した」という事実に素直に感動した記憶がある。ああ、あるんだ。よかった!って。

今まで見えなかった道の先が、急に見え出した。

「アムウェイで世界トップにいる人の話が聞ける」

おっさんは言った。そういう集まりがあるのだ、と。

「参加します!」と即答した。こういうフリーダムな生き方を極めた人の話は当時のぼくには圧倒的価値があった。会場はドレスコードがあったけど、ぼくは半袖半ズボン。拒否られた。

でも聞きたかったから、ユニクロで速攻長ズボン買ってきた。

その男の名は、中島薫

元々、中島氏は「作曲家」として活躍されている方でした。主な功績としては、「Good-by morning」という楽曲で、「世界歌謡祭」グランプリを受賞するなど、作曲家としても大きな成功を納めていました。

そして、1982年(アムウェイは日本に参入したのは1977年)にアムウェイで出会ってから、そのような素晴らしい功績を投げ打ってまでして、アムウェイというビジネスに参入したのです。

引用:http://xn--cckefe7z.net/%E6%88%90%E5%8A%9F%E8%80%85/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E8%96%AB.html

決して崇拝してるわけでもないが、今でも尊敬してる。正直、驚いた。今まで見た大人たちの中で異質なレベルの雰囲気というかオーラを感じたからだ。今でも、強烈に頭の中に残っている。こういうとやれ洗脳だとか言われるけど、人間みんな洗脳されて生きてるし、洗脳してしまうレベルの影響力をその人には感じたってことだ。

ガツーン!と脳内スパークが起きる

ぼくはアムウェイという商売には大して興味を持たなかったけど、そこで成功して人生謳歌してる人のライフスタイルや考え方にものすごい興味を持った。

  • 人間は環境の生き物だから、まずは環境を変えること
  • あなたが抵抗を感じるそれは、あなたに今まで見えなかったものが見えた時
  • 思考は現実化するけど、それはあなたが決断して行動を始めたとき

これはまあたぶん会員のためのポジショントークでもあるけど、実際フリーで動き出してから「うん、ほんとにそうなの」と理解することになる。当時のぼくはただただこうだった。

俺の知らない世界を見つけた!!この世界で生きのびれば、変われる!

それまでの価値観は、本当にただただ一般的な、テンプレ通りに生きてきた大人が作ったものだったんだ…と確信した。別にそれが悪だ!と言いたいわけではない。ただ当時のぼくの視野はそれだけ狭くなってたわけだ。

ぼくはこの日「生き方の多様性」を見た

そこにいた成功者たちはすごくおもしろかった。お金を使ってアートに没頭する人、サーフィンに没頭する人、なにもしない人、映画を撮ってる人。

いろんなやりたかったこと、やりたいことを実現して楽しく生活してる人がいることを目の当たりにして、そしてその空間ではそういう人しかいなかった。自分がそうなるか?の確信はなかったけど「そういう自由な生き方をしてる人は思ったより多い」ということを目の当たりにできたのが大きなポイントだ。

イメージから実体として、そのライフスタイルが見えたのだ。

19歳のぼくは確信した。ぼくは絶対こっち側で生きて行くんだ…と。

そのあと紆余曲折あり、サラリーマンにもなった。縛られる生活もした。ただプロセスとしてそれは良かったと思う。ただの夢見がちな少年から「現実的に考える大人」へとぼくは成長した。

その結果21歳から独立して悪戦苦闘し、23歳ころから、フリーランスとして普通に食っていけるようになった。そう、19歳のぼくが想像したことが今この時点で現実化したのだ。回り道したけど、たどり着いた。

そしてそのときおっさんから聞いたんだけど、そこにいた成功者は当時19歳のぼく見て、おっさんに「彼は23歳から伸びるよ。それまでは、いろいろ体験させたらいい」と言っていたそうだ。まさにそうなった。人の思念の力はおもしろい。そしてあの日渋谷のバグースでおっさんに出会ってなかったら、今ぼくはどうなってたんだろう?

ぼくは、今こうしてあの日みた成功者の姿に近づいていけているのだろうか?

ちなみにアムウェイは20歳から半年間だけやったけど、ある程度のグループ作って撤退しました。理由は「コミュ障すぎてしんどかった」からw

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