「僕は悪くない」と人に全部なすりつけたいアダルトチルドレン多すぎ

いろんな人がいていいのですが、ぼくがどうしても納得できない病気にかかった人類がいます。それが人に全部なすりつけたい病。定義は下記のようになります。

「ぼくは悪くない」という絶対的正義の名の下に、すべての自分の嫌なことや経験などの諸悪の根源を自分以外の何者かにすべてなすりつけることにより、心の安堵を得る心的疾患

この病気にかかってる人が異常に増えてきています。

なぜ人は「僕は悪くない」と人のせいにするのか?

多くの人は多くのことを人のせいにします。さも自分は正しかったかのように人を間違っていると定義付け、悪にします。これはなぜこうなるのでしょうか?

人は弱い。とてつもなく弱い。強そうに見える人間ほど、特に弱い。プライドもあります。プライドで武装しているような人もいます。今のきつい世界情勢の中に生きている僕らは、どうやら自分を守ることだけで精一杯なようです。

現代は多くの人が不安を抱えて生きています。このままでいいのだろうか?この道は正解なんだろうか?その不安の闇の部分を対峙した時、人は現実をつきつけられます。

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「僕は悪くない」という自己肯定

と。しかしそれを認めてしまうと、自分の歩んだ道を否定したことになる。それはしたくない。ぼくは悪くない。だから、標的を自分以外の何者か?にすげかえて攻撃するという愚行にでる。

その道を選んだ真犯人はなにものか?

事件①

とある男性が店に並んだ。店頭には15分待ちと書いてある。店は昼時でめっちゃ混んでいる。10分経過したくらいに外が騒然としていた。何事か?と出てみたら、男性がすごい剣幕で怒っていた。事情を聞くと「なんでこんな混んでるんだ!俺はこの店の常連だぞ!今すぐ入れろ!」とのこと

事件②

私の息子は有名私立校に通い、大手商社に内定が決まった。こんなにめでたいことはない。当時、息子も自分の進路を誇らしげにしていた。親の私もこんなに誇らしいことはない。今日はケーキにチキンでパーリーだ!そして2年後、ある日息子は私にこういった。「なんで私立校なんか通わせたんだなんで大手商社になんか入社させたんだ!全部お前ら親のせいだ!お前ら親がぼくの人生を狂わせたんだ!」 どうやら息子は連日の残業とレベルの高い職場環境についていけず、ストレスがたまっていたそうです。

この事件を読んでおそらく読者の9割は、めんどくせー客だな。ダサい息子…。などと思ったはずです。それもそのはず。だってこの2人は八つ当たりしてるだけだからです。もしこの事件で、店が悪い、親が悪いって思ったそこのあなたは重症です。

この事件①の犯人は、自分が好きでその店に並んだのに思うようにメシにありつけないもやもやをお店のせいにしてますね。でも大前提として、その店に並ぼうと決めたのは自分です。自分から並びに行ったんです。来い!と店に言われたわけではないのです。この男性は自分が常連だという「特別な客」という思い込みを武器に、並んでしまった自分のミスを棚に上げ、その正当化をするために店を攻撃してるわけです。帰れ。

事件②は、もし親が教育パパママすぎてそれらを強制させたたとしたら?確かにパパママが悪いのかも…。と思ってはあかんのです。その教育を受け続ける選択をしたのは自分です。逃げ出さなかったのも自分です。つまりすべて自分の選択の結果です。逃げ出さなかったのはそこに甘えもあったはず。ましてや入社後ついていけないのは、自身の能力不足かもしれない。ついていけないなら、辞めればよかった。逃げればよかった。でも逃げなかったのは、自分にその勇気と決断力がなかったから。またはそこにしがみついてたのかもしれない。

「僕は悪くない」?いやいや結局ぜんぶ自分が悪い

これです。結局ぜんぶ自分が選んでるんだから、自分が悪いんです。でも自分が悪いと認めたくないから、人のせいにしたいんです。人間は。誰かに強制されてたとしても、そこから逃げ出さなかった自分が悪い。親のせい?先生のせい?なんてことはありません。

もちろん本当に相手が悪いことも多々ありますが、それ含めてのそんな相手を選んだ自分が悪い。もちろん相手の責任のが大きい場合は言及したほうがいいですよ。

今つるんでる人も、環境も収入もぜんぶ自分の選択の結果なわけですからぜんぶ自分のせいなんです。でも人は、ぜんぶ自分以外のなにものかのせいにしたがります。それは親かもしれないし、政府かもしれないし、恋人かもしれない。

自分に矢印を向けること

すべての根本原因を自分以外のなにものかに向けていては、成長はないと思います。外のなにものかはあなたのためになにかをしてくれたりはしません。ひとにあたったところで結果なにも変わらないことのほうが多い。

なぜそうなったのか?と自分の非を素直に認めて、それを改めたほうが次に行かせます。だって自分のなにが悪かったか?がわかるので。

恋人に浮気されたら、なんで浮気されたのか?自分のなにが悪かったのか?を見つけたほうが浮気されないための方法が得られます。相手にブチ切れてても、なにも変わりません。疲れます。浮気するやつはするので、さっさと別れてさらにいい相手を見つけるほうが効果的です。浮気されない自分にかわりつつ。

仕事でうまくいかないなら、その原因を会社とか取引先のせいにしても結果かわりません。なんでその環境で自分はうまくできないのか?と自分に矢印向けたほうが成長できます。実際同じ環境なのにうまくやってる人はいるはずです。

でも、人は弱いから「僕は悪くない」という

そんなのわかってる!といっても人は人のせいにします。それくらい人は弱い生き物です。多くの人がわかってても人に全部なすり付けたい病にかかっています。そこから抜け出せないでいます。

それを治すには、自分以外を責めてしまう自分自身の弱さと向き合って、その非を認めることから始まるのかもしれません。弱さを理解しつつ、そんな自分と対話する。それがひとりひとりできれば、あんたのせい!おまえのせい!というなんの進歩もうまないクソないがみあいはなくなる。

政治もきっと同じなんですよね。右翼が左翼が〜、与党が野党が〜って言ってるうちは進まなくて。「結局国民がハッピーになるにはこうするのがよくね?」ってところに議題が向けばいいですね。そしたら戦争をするしないの話はそもそもないはず。