10年したら運転スキルは不要。25歳のパパが運転免許を取らない3つの理由

25歳1児のパパであるヒキコモリズムは未だに免許を持ってない。

….というと100%の可能性でびっくりされる。さらにいえば、それで田舎暮らしをしてるというと「どうやって生活してんの?」と言われる。それもそのはずだ。基本的に田舎で車を持ってないというのは東京に住んでて電車に乗らないみたいなもんだ。

ただ、それでもちゃっかり生活できてしまってるヒキコモリズムからすると「運転スキルとか今後いらねーべ」というノリだ。

運転スキルが不要な4つの理由

ということで今日はぼくが免許すらとってないし、今後も取らないな…と再確認したので、その理由を4つあげておく。きっと今後ぼくは免許も取らないし、車も買わないだろう。必要性を本気で感じないんだ。

1. 運転できる人は世の中に腐るほどいる

まずはこれだ。というかずばりこれだ。

日本だけで見ても、運転できる人なんて腐るほどいるわけだ。街にはそこらへんにタクシーが走っていて、呼べばくる。東京なんてアプリ開けばすぐ呼べる。つまり街には運転したくて仕方ない人が溢れている。

そんな供給過多な状態で、自分で運転する必要あんの?ということだ。

自分が運転できなくとも、そこらへんに運転できる人が転がってるだから、その人使った方が早くね?ということだ。その方がエコじゃね?ってことだ。一家に一台車があって余ってるからカーシェアという概念が生まれたんだろう。

運転できる人が同じ行き先の人を乗せたり、それを仕事にする人がいるならその人らに運んでもらうほど効率のいいことはないだろう。

運転できる人を雇える経済力身につけた方が効率がいい

いってしまえば月10万円+ガソリン代などだして運転手雇える経済力=稼ぐ力があればその方が早い。後述するが、運転スキルは今後陳腐化する。けど稼ぐ力は今後ふつうに必要なままだ。

だったら毎月10万(金額はテキトー)を毎月余裕で払える力をつけた方がいい。陳腐化するスキルに払われる額は減っていく。おそらく今後「頼むから運転させてくれ」な人が増える。じゃあその人らを買い叩くほうが頭がいいわけだ。

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2. 運転スキルは陳腐化して世の中的に不要になる

もうすでに時代は「自動運転」の時代にさしかかろうとしている。人工知能などが運転する時代がすぐそこだ。たぶんスマホのノリで出てきて、一気に普及すると思われる。

となると「人による運転」は正直いらないんだ。AIのほうが安全だろう。

となると運転スキルというスキルそのものが過去の産物となるわけだ。どっちかというと、その自動運転車を買う経済力だったり、それを操作するスキルが必要となるが、スマホ感覚で操作できるレベルになっていくはずだ。

そんな時代が見えてるのに、免許学校にかよって、車を買うというのはなんだかなあ…とは思わないだろうか?ぼくはすごく思う。

陳腐化したスキルは買い叩ける

さっきもいったが、自動運転がデフォになったとしても、一定数人工的な運転は残るだろう。

車内コミュニケーションを重視したタクシー会社などはやっぱりニーズはあるからだ。ただその体験的価値を提供しない「運転するだけ」のタクシー会社や運転手はおそらく淘汰される。で、それ以外できることがない人は「運転させてくれ」になる。

じゃあそのスキルを買い叩けばいい。車かったり維持するよりはるかに安上がりだろう。リアルにそういう社会がくるはずだ。現に大昔は重要だった工場の仕分け作業を機会が代替できる今は、そういうスキルは異様に安く買い叩かれてる。それと同じだ。

3. 運転中は運転以外なにもできない拘束状態

ぼくがもっとも嫌うのがこれだ。

運転中は運転以外できない。スマホさわることも、電話もしにくい。ブログを書くこともできない。人を乗せてる場合、最新の注意を払う必要がある。

そんなめんどくさいことを自分がする必要あるのか?ということ。

その点、運転してもらえば自分はハンズフリーだ。読書、考え事、睡眠、ブログなんでもこいだ!道に迷うこともない。気を使うこともない。ただ目的地につくまで乗ってればいい。こんな効率のいいことはあるだろうか?

運転する間の時間を買うと考えれば、お金なんて安いもんだ。だって時間=人生だからだ。お金は取り戻せるが、時間は戻ってはこないわけだ。どっちを取るか?なんて考えるまでもない。

自分で運転して移動する…のを好む人の気持ちがぼくにはわからない。それ、人にやってもらったほうがよくない?

移動時間を有効活用できるのは、ハンズフリーだから

よく「移動時間は頭が冴える」という声を聞く。

でもそれって「自分が運転してない場合」なわけだ。バス、飛行機、電車。自分は乗ってるだけの場合、キャパがあるから頭も使えるだろう。実際ぼくも飛行機は頭がさえる。ぼくの場合、車酔いするからバスはきついけど。

でもこれが自分が運転してたら頭冴える前にいろいろ注意する点が多すぎて大変だとイメージできる。よほど慣れてないと、同時進行はできないはず。少なく見ても、ぼくが乗せてもらったことのある人は、そこまで余裕を感じない。

運転スキルは今後どんどん不要になっていく

人間はめんどくさがりな生き物で、そのめんどくさいことを簡単にするために開発してきた。

ってことはどう考えても今後は「移動」にかかる時間や労力は減らす方向にいくに決まってる。船で海を渡るのがめんどくさいから空を飛ぼうとおもったわけ。車じゃ遅いから電車。電車じゃ遅いから新幹線。それでも遅いからリニア。じゃあ次は?

で、運転もめんどくさいからテクノロジーにやらせる。

そしていつか「移動」そのものの概念がなくなっていくはずだ。ドラえもんのどこでもドア的な空間移動テクノロジーが生まれる可能性は高い。SF映画であるワープなども現実化する可能性はある。

IoTを応用して、人を光ファイバーを通して移動させる…なんてすごいテクノロジーが生まれる可能性もある。さすがにその時代は死んでそうだけど。それどころか素粒子にまで分解して移動させて、現地で再構築…ってこともあるかも。

なんにせよ、はるか昔から続く「運転スキル」はもうしばらくしたら不要になるわけだ。というか本当はもう不要なのに、旧システムを維持してるだけだろう。

だからぼくは、免許すら取らない。

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