意味のある議論と、意味のない議論について議論しようか。

ぼくは議論をしないことで有名だ。議論的な雰囲気になったらそっとその場からいなくなるし、SNSで絡まれても完全なるスルーをかます。「反論記事書きました!」とかきても、スルーをかます。

それやってるとなんか嫌なイメージを持たれてしまうんだけど、正直議論に意味を感じないのだ。とくにマウンティング的な要素のある議論は。とはいいつつ、議論するときは徹底的にのっかる。でもそれは同じ議論でも、種類が違うのだ。

この記事では、議論にかんして、生産性を踏まえた上で議論しようと思う。

議論には2種類ある

まず大前提として、議論には2種類ある。ここははずせない概念だ。ここを知らないと無駄な議論や、議論をしないことで生まれる議論、たとえば「あいつは人の話をきかない逃げ腰のチキン野郎だこんにゃろめ!」みたいな愚論が生まれる

まずはここを理解しよう。

AかBどっちが正しいか?を決めるためのマウンティング系議論

ぼくが完全にスルーするのはこの議論だ。これは意味がないしめんどくさい。

というのも大前提として「どっちも間違っていて、どっちも正解」なのだ。人は各自生きてきた歴史もバックボーンも経験も食ってきたものも違う。つまり同じ価値観なわけがないのだ。それなのに、どっちが正しいか?なんてどう判断したらいいのだろうか?


というわけだ。たとえばどっちかが全知全能の神的なサムシングだったら、答えは見つかるだろう。でも、不完全かつ未完成な人間ごときが「AかBか?」なんて議論しても「解」は見つからないだろう。

戦争はすべきか?しないべきか?

極論だけど、これに正解だせる?

戦争にていい思いしたことがあるか?武力行使を正当なものと思ってる人は、すべきと考えるだろう。武力で制圧しないとどうにもならないことって多々あるだろうし、それで国が救われることもあるわけだ。

でも、逆に略奪された過去や戦争に巻き込まれて大切な人を失った経験がある人はそうは思わないはずだ。

これはどっちも正解であって、間違いでもあるわけだ。それはなぜか?ふたりの価値観が「そもそも」違うから。議論は平行線を辿るのみで、最適解はない。見つけようがない。だって、他人は宇宙人だもの。

マウンティング系議論の終わりはふたつしかない。
  1. そうだね。そういう考え方もあるね。(間をとる)
  2. 論破(負かす)

どっちかしかない。1の場合は、結局でた答えは「解なし」なのだ。なにも生まれていない。なにも変わらない。間をとった「解らしいサムシング」を決めたとしても、上記のツイートのように不完全かつ未完成な人間ごときの出した答えゆえ、それすら不完全なため最適解ではない。

つまり、なにも見つかってない自己満足なものなのだ。これに意味を見出すほうがぼくには難しい。だって意味ないじゃん。

2の場合は、どっちかが折れる感じだ。でも折れたらそれが間違いになるわけではない。ただ根気負けしたり、だるくなったりして折れる場合がほぼで、論破した側はただマウンティング的に勝利に酔いしれるだけで別にそいつの主張が最適解なわけではない。

つまり言いたいことは、この種の議論においては「どっちも正解で不正解だから解なし」にしか行き着かないのだ。

それなのに「AとBどっちが正しいか議論しようぜ!」とか「なんでこうなの?これはこうあるべきだ!それはおかしい!」みたいな論を唱えるのってなんかなと。くっそめんどくさいのだ。好きにしろよなと。巻き込むなと。

議論したところで、そいつはそいつの正義のもとに生きるんだしね。どうせ。

Aという答えにたどり着くためにどうするか?を考える二人三脚系議論

こっちはぼくは好きだし、生産的と思われる。

というのも、マウンティング系議論はお互いが向き合ってある種敵対する感じになってるんだけど、こっちの議論はベクトルが同じ方向に向いてるからだ。Aという答えにいくために協力しようぜ!的な。

会話にするとこうだ。

  1. Aはこうあるべきだ!それは違う!間違ってる!Bはおかしい!消えろ!◯ね!
  2. Aの答えに辿りつきたいんだけどさ、Bはどうしたらいいと思う?

敵対するか?歩み寄ってるか?の違いだ。後者のほうがいい解が出る可能性を高く感じる。だからぼくはこういう議論にはのっかっていく。

たとえば戦略会議

Aというプロダクトの売り上げを最大化するためにどうしたらいいだろうか?みんなで考えよう。

こういう議論は非常に生産的だ。違う価値観や経験で生きてきた人たちがそれぞれに脳みそで案をひねり出し、それを足したり引いたりしながら最適解らしいものを作っていく。議論参加者は協力していいものを作るベクトルで議論する。

自分が正しい!と主張するのではなく、各自の意見を尊重した上で議論ができる。「え?そうする理由はなに?あーなるほど、いいね!それならこうするのもよくない?どう?」みたいな。これをマウンティング系に直すと「は?なんですかそれ?おかしくないですか?そんなんでうまくいくわけないじゃんばかなの?」になるわけだ。

この違い、わかるだろうか?主にSNSなどで振られる議論はマウンティング系だ。だから価値を感じない。

先ほどの戦争を例にだすと….

戦争すべきか?しないべきか?という2択を論ずるのではなく「戦争せずにすませたいんだけど状況的に無理ゲー。でも被害だしたくないんだけどどうしたらいいだろうか?」という答えに向かって協力的に議論を重ねることとなる。

そういう議論があると…

  • そもそも武力で争わないとダメなの?戦争=爆弾使うって違くない?
  • せめて戦地を人の住んでない場所にするとかどやねん
  • ARとかVRを駆使してバーチャル世界で戦争したらどうか。ゲームっぽく。
  • だったら各国最高メンバー揃えて騎馬戦やろうぜ

とかいう案がでてくるわけだ。いや、国際政治がそんな単純じゃないのは知ってるよ?あくまで例ね?でもそもそも戦争ってものがマウンティング系議論でいくとこまでいった末に起こるものだからさ、それすら二人三脚系議論のマインドでいけばこうなるはずよ。

争いたいだけならべつにストリートファイターで国際大会でもやりゃいいんだからさ。勝ったほうが正義なら、それでもいいじゃんね。殺戮になっちゃうのはそういうスタイルで争ってもらったほうが都合がいい人がいるからなんだけどね。

意味のある議論と、意味のない議論をしっかり区別しよう

この世に正解なんてないわけで。とくに人が考えることに真理はない。なんせたとえ一国の大統領であろうと、企業経営者であろうと神様ではないから、真理はわからないからだ。ぜんぶ「これが正解っぽい」というノリなわけだから。

この世で唯一完成された解のあるものは、これだけだ。

真理がわかってるなら、それは神だろ。もはや。

Aが正しい!Bは間違ってる!ってのは、Bから見たら逆であって、どっちも正解なんだ。前提が違うだけ。そこで議論しても意味はない。なにも着地点がなく、着地してもそれは「正解っぽいサムシング」であって、最適解でも真理でもない。

だったらAという解にたどり着くためにどうすべきか二人三脚で議論するほうが、いいものが作れる。そうやって人は成長してきたんだから。車だって「もっと移動を楽にしたいけどどうしたらいい?」って議論から生まれたし、飛行機は「空飛びたいなあ。飛べたら海渡れるんだけどなあ。なあお前らなんかいい方法ない?」から生まれたわけで。

二人三脚系議論は正の作用を生む生産的なもので、マウンティング系議論はいじめや戦争などの負の作用を生む非生産的なものってことだ。まあ、これも価値観の違いで「最適解や真理」ではないんだけどね。

以上、議論についての議論を終わりにする。

>>物事はすべてニュートラル。どれも正解でどれも間違いだ。

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