「帰る場所がある」ということは人生で最高に喜ぶべきこと

年末年始に10日間ほど家を空けて、長崎をあっちこっち旅して感じたことがあります。これは心底思ったことですね。うん。「帰る場所があることの喜び」ってのを心から感じました。

最近は旅しながら…みたいなのが流行ってるけどぼくは最終的に拠点は必要だという結論にいたりました。

人は確かに旅する生活で成長できる

人の成長は移動距離に比例する…なんて言葉をどっかでみましたが、これは確かにそうおもう。今回旅したことで得た知見なんてものももちろんあったし、かつ「視野」はひろまりました。

今まで触れてこなかった世界に触れることは大事なんだなーと。まあ引きこもりだけどさ。

人との出会いとあたたかさ

実はこの旅で久々にリアルの世界で家族以外に触れましたw

ただ旅先に家族はいません。今回はパートナーと子供と途中で別れて一人旅になったので、いわゆる一人です。独りともいう。まあ知らない土地でひとりなのでちょっとドキドキするわけです。ぼくはコミュ障なので、あまりフレンドリーではありません。むしろ出してもないのに「話しかけんなオーラがある」と言われます。

なので誰かの助けをうけるってのは苦手なんです。「助けて」とも言えないし「助けようか?」とも言われない。

でも、旅先ではそれをしないといけない

旅先ではひとりだし、電波が通じにくい場所もあってスマホありゃ無敵なんてこともなくて。なのでどうにも助けてもらわんといけないシーンがあったりします。

そんなときはどんなにコミュ障でもどうにかしないといけない。わからないことは人に聞く以外ないしね。でもぼくはそれが大の苦手。やっぱり困ったときは自分独りでどうにかしようという発想しかないんです。

でも、この旅では旅館の方が求めずとも察してくれていろいろしてくれたりとか、飽きてしまって早くチェックアウトしたいといえばなにも言わずお金も返してくれて、かつ「このあとはこういうルートでここにいくとおもしろいよ」なんていう情報をくれたりして。

ああ、人は意外とあたたかいんだな

と感じました。ぼくはあまりいい人間関係を作ってこず、人間に対してある意味嫌悪感すら抱いてるのでこれはびっくりしました。少し人間を好きになれたような気がします。

現地の文化や言葉や人間性を知れる

日本だけで見ても言葉や文化は違ったりしますよね。それを体験できるのは人間の器をでっかくするにはいい修行になるかも。まあ日本だけでいえば大差ないけどこれが世界に目を向けたら、信じられない文化なんてのもあるわけだし。

「俺らの常識がいかに非常識か?」がわかりますよね。

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移動生活は成長するのに比例して疲弊もする

おそらく旅をずーっとしてあっちこっちの人間や文化に触れていると大きく成長できるんでしょう。実際ぼくの知人の旅人はなんでしょう、包み込まれる感じがします。そんだけ人間的器がでっかいんでしょうね。

でもぼくは相当なレベルで疲弊しました。

移動生活には落ち着く場所がない

人によると思うけど、ぼくのような自分の空間や自分のペースを大事にしたいタイプの人はこの「ほっとできる空間」があるかどうか?は大事。

もちろん今回の旅は野宿をしたわけでもなく、宿を借りたんだけど落ち着かない。なにが落ち着かないかというと「宿のルール」があること。チェックアウトの時間は守らないといけないしね。大浴場もパブリックスペースなので、自分の好きにはできない。

移動生活は朝寝坊できない

上のにつながるんですけどあくまでパブリックスペースなので、ルールを守らんといけません。存分に寝ていられない。

ぼくは基本的に朝が弱いのでいつも昼まで寝ないとしんどいし、アトピーなので回復に時間のかかる体をしてます。なので睡眠時間もまあ長い。でもパブリックスペースでの生活はこれができません。

10時チェックアウトならばそれには出ないといけない。守らないと課金される。この都合の効かなさはやっぱり長くはしんどい。かといえ知り合いの家でもやっぱりその家のルールがあるので自由ではないわけで。

ルーティーンができないから調子狂う

例えばぼくは朝起きたらまずコーヒーを淹れます。その間に背伸びをして水をガブっと飲む。で、あれしてこれして…ってのがあるけど、旅先はそれができません。

コーヒー飲みたくば外出準備して外出しないといけないし勝手が違います。なにするにも家のようにはいかないわけで。それはなんてことないように思うかもしれんけど、意外と人間は「秩序性のある行動で調子を整えてる」ってことを実感できます。

人は変化を好むけど「変化しない部分があるから自分を保てるのか?」という一種の仮説ができました。

毎日にゴールがない苦痛

2016年のやってみたいことで「家なし生活してみよっかな」ってのをあげてたんだけど、これを10日やってみて相当しんどかったんです。

ぼくは引きこもりなので家に始まり家に終わるんですが、これって会社員さんでも同じですよね。帰ると1日終わった気分になりません?でも旅してるとこれがないんです。変える場所=宿になるので、自分のパーソナルスペースではないわけで。

要は旅する=かりそめの家(宿)を飛び回るイメージです。帰るってよりかは「他の場所へ行く」ということです。つまりチェックポイントでしかないんです。通過点。

帰る場所があるという幸福

人間にとって「帰る場所がある」ってことは相当な幸福感をもたらしてるんじゃないか?と思いました。10日の間旅して先日自宅へ着いたときになんともいえない安堵感があったんです。

ああ、帰ってきたんだ。と。

帰る場所があることは人生で最高に幸福なこと

もしこれで帰る場所=自分の家がなかったらこのままずーっと疲弊していってたのか?と考えたときに普段なんてことなくいるこの家が一気に非日常的なものとなりました。

もしこの家がなかったら、今日も宿を探しそこのルールに沿った生活が求められ、自分の好きではない布団のかたさのベッドで寝て、自分のルーティーンをこなせず毎日別のペースで生活するのか…と。

そう考えると家があるというのはなんと幸せなことか?もし明日なくなるとしたら、ぼくはつらくて仕方ない。「家なんて寝るだけ」っていう人がいますがそんなことない。その寝るだけの空間にはそれ以上の価値があるよ。

ぼくにはいざしんどいとき帰る場所がない

ぼくの実家の家族は健在ですが、帰れません。というのもなぜか我が家は家族と距離が近いと関係が悪化するからです。遠いことで調和が保てます。それをわかってるので、実家にはどんな事情があれど帰れません。

でもそれは「いざ困窮しきったときに行き場がない」ということになります。なのでぼくは明日生きるために毎日心のどこかに不安があって、それを持ったまま生きるということです。

でも実家にいつでも帰れる人は、その不安がありません。これってすごい幸せなことです。本当に。ぼくは帰ったら心配性な父母からの毎日の心配談義にイライラし、姉の「あんたはもっとこーしなさいあーしなさい」という言葉にイライラし、我慢できずに怒りをあらわにする姿、そしてそれが原因で「もう帰ってくんな」と言われる姿が想像できます。それくらいぼくにとって「一つ屋根下に家族」ってのは怖いことです。

帰る場所があるというのは当たり前ではない

人は毎日当たり前にそこにあるものには関心がありません。毎日の食事や家、そばにいてくれる人などなど。でもこれらは全て「なにひとつ当たり前のことではない」んです。

ぼくはこの当たり前の中に幸福の種があるんだと思い直しました。これらは少しだけ環境を変えたら一気に失う可能性のあるもの。だからこそそれらをもっと大事にしないといけない。

人はないものねだりなので「今あるものはさておき新しいものを手に入れよう!」として日々努力したり、世の中に「自分はこうだ!」と叫んだりしてるけど本当に大事なものはすでに自分の手の中にあるんだな、と。

ぼくは引きこもりなので家がないと引きこもれません。普段何気なくいるこの家、今の家族がないとぼくの生活は一気に狂います。だからこれらがあることは人生において最高に喜ぶべきものだし、大事にすべきものだな、と。そう感じたわけです。

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