《寄稿》吃音で社会不適合者と言われたぼくが、書道で救われた話

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ぼくの知人に吃音を書道で克服し、書道家になった人がいる。その人との出会いはまだ浅いんだけれど、バックボーンがおもしろすぎるのでぜひこのブログで紹介したく寄稿をいただいた。

ぼくも生まれつきアトピーで悩み続けて早25年だ。共感することばかりだ。心に深い悩みを抱えているあなたにぜひ読んで欲しい。それではどうぞ。

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ヒキコモリズムをご覧の皆様初めまして。書道家の橋本寿(はしもと ひさし)と申します。ブログ素人の僕がヒキコモリズム井上さんに寄稿させていただく事を光栄に思います。

今回は、吃音に人生の半分を悩まされて鬱にまでなったぼくが、書道と出会うことで書道家として社会復帰するに至った話です。

書道家、橋本寿の自己紹介をさせてください。

まずはかんたんに自己紹介をさせていただきます。ぼくは現在、吃音に悩む社会不適合者だった自分を脱し、書道家をやっております。「寿」という名前がありながら社会不適合者です。全然おめでたくないです(笑)

僕は吃音で社会不適合者でした。

でも、今は書道を行った事ですごく人生の方向性が変わり、吃音を克服出来ました。僕の事を知ってほしいと思いこの度吃音歴とともに人生を綴っていきたいと思います。あ、ちなみに吃音ってなに?って方は以下をご覧ください。

吃音症(きつおんしょう、英:Stammering symptom)とは、言葉が円滑に話せない疾病、または障害である。「発語時に言葉が連続して発せられる」「瞬間あるいは一時的に無音状態が続く」などの症状を示す

引用:Wikipedia

社会不適合歴-学校編-

ぼくは国語の授業が嫌でした。

小学2年生の頃に本読みで「青」を言えずに先生や周りの友達に笑われたのがはじめての自覚です。読めなかったのではありません。「青:あお」という言葉が言えなかったのです。

学校で給食の時間「いただきます」「ありがとう」の言葉が言えず、黙って食べると行儀が悪いと先生や周りの人に総スカンを食らう。基本学校では一人で過ごすようになり、友達もいません。

恋愛なんかとんでもございません。喋るのは必要最低限の連絡くらいです。(それでもしゃべれなかったけど)

でもわかってほしいのは、しゃべりたくないのではなく、しゃべれなかったということ。吃音というものにまったく理解がなく、とにかくぼくは「劣等生」のレッテルを貼り続けられました。そのときのぼくは「自分はそんなにダメ人間なのだろうか?」と、自信を失っていました。

そんな18年間。

社会不適合者歴-社会人編-

挨拶も出来ません。「お、、、お、、」となります。

上司には、「挨拶は社会人としての基礎なのにどうして挨拶すらも出来ないのだ」と周りの職員がいる前でディスられました。わかってる。わかってるんだけれど、声が出てこないんです。その基礎は、ぼくにとっての難関だったのです。

  • 休憩時間、休憩室に職場の方々が雑談をしているのですが回避です。
  • 休憩中は職場のトイレにこもっていました。
  • 休憩時間が終わるとトイレから出てくるという変人っぷり。

報連相が全くもってスムーズに出来ず、職場で完全に干されてしまいました。自分があまりにもなにもできないため、そのときはもう本当にぼくはこの世には必要ない男なんだ…と思ってしまいました。その後うつ病を発症し、休職しました。

ぼくにとって吃音は、社会から疎外されるに十分なものだったのです。おそらく、同じような人はたくさんいるのではないでしょうか?

しかし神様はいるのか、長い長い闇を抜け出すきっかけを手にすることができました。

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「書道」との出会い

休職後自分の体調が回復した時に、自分の人生を考えました。

  • 自分の人生ってなんなのかな?
  • こんなめんどうな障害をもってるのに、なにができる?
  • ぼくはこのまま引きこもって生きることしかできないのか?

そうやって悩んでいるときに、ふとネットで知り合った方に幼い頃に好きだった事を書いてみるといいと知り、自分が小さなころ好きだった事をノートに50個以上書きなぐっていました。気がつけば、それくらいかけていたんです。あのときは夢中になりました。

書き出した中に「書道」がありました。

書き出した50個の中で、なぜか書道の2文字だけやたらと頭に残ったのです。理由は今でもわかりません。ただ、気になっていたのです。

実は中学を卒業してから書道を行っていなかったのですが、そのときは時間だけはあったのでとりあえず書道道具を一式そろえて書いてみました。地味なイメージの書道ですが、久々に書道を行うと楽しかったのです。とても。

心が落ち着き、文字で自分の想いを書く事ができました。筆に想いの乗せて、半紙にぶつける。この行為が、当時のぼくにはとても刺激的なものだったのです。ぼくはしゃべることができない。けど、文字にすることはできる。

書道を始めたら、吃音者の個展が成功した。

その後書道を通じて肩書き関係なく多くの方とつながる事が出来ました。書道は文字どおり書の道なので、書くことで繋がることができたのです。人間関係ができたことで気持ちも前向きになり、言語聴覚士のリハビリも受け始めました。

その後リハビリも受けながら自分の好きな書道を行う日々が続き、ついには書道を習い始めて念願だった個展をひらくまで前向きになれました。吃音で社会の片隅の追いやられ、閉じていたぼくが、社会へ自発的にでていった初めての行為です。

そして知り合いを含め40名以上の方に来場していただき、感謝のフィードバックをたくさん頂けました。本当は、ぼくがお礼をしたいくらいです。自分自身で一つの実績を作った事がどれほど自分の糧になったのか計り知れません。

書道を行った事で、吃音が改善されていった

個展などの成功体験をして、少し前向きになったぼくは職場に復帰しました。そうしたら不思議なことに、休職前とは違い、職場でも少しずつ改善が見られました。

付箋やメモ用紙に紙に書いて仕事の伝達をするようにしすると少しずつですが仕事が運ぶようになってきました。これは嬉しかったな~。伝達ができるようになったおかげか、周りもぼくの吃音にかんして理解をするようになっていってくれました。自発的な行動が、周りを変えるんだと学ぶことができました。

自分の好きな書道、文字に想いをのせて伝えることを行う事で、吃音はもちろんうつ病も自然と治っていきました。

そして会社以外へ関係を広げていったぼくはより多くの人と関わるようになりました。そのときに書道を行っていると周りの方に伝えると、話題に事欠きません。そして。自分の文字で誰かの想いを伝える事ができる事、そんな自分を知ってもらえた事が何よりも嬉しかったです。

書道家、橋本寿の想いとこれから

吃音を克服と一言で言いましても、かなり難しいものであり時間もかかります。克服まで40、50年かかる方もいれば、一生治らない方もいらっしゃいます。それほど、吃音は扱うのが難しく悩みは深いです。

当事者は命がけで隠そうとしますから、サポートを始める事自体が少ないのです。

僕は、吃音のリハビリも行っていましたが、それ以外に自分が好きな事である書道を行った事が大きなポイントだと思っています。

好きな事をやり続けるとその分野で自分に自信が持てます。自分に自信が持てると、たとえ吃音があったとしても、「自分にはこれがある」と思えるのです。

吃音と向き合う事、あるいは自分の長所を伸ばす事で自分の魅力を高める事が出来るのなら、これほど嬉しい事はないと思います。それほど、僕にとって書道とは吃音で社会不適合者だった僕を救ってくれた宝物です。

書道は僕にとってかけがえのない大切なものです。そして、その大好きな書道を通して今後は誰かの想いを誰かに届けるお手伝いをしていきたい….と強く思っています。

こんな自分でも好きな事を通して社会貢献できるんだという自信が持てる事が出来ました。そして、同じような悩みを持つ人の相談に乗る事もできます。なぜなら、今ぼくはしゃべれるし、文字で想いも伝えられるからです。

長くなりましたが僕がこの記事で言いたかった事はコンプレックスを遥かに凌駕するほどの好きな事を見つけると心も気持ちも全ての事から変わっていくという事です。

もし、同じような悩みを抱えてるのであれば、いつかどこかでぼくと出会ってくれたら…と思います。書で、語り合いましょう!

それでは、ありがとうございました!

——–ここまで——-

吃音って今ドラマでも話題になってるよね。月9の。

ぼくは吃音じゃないからわからんけど、コミュニケーションがうまくとれないって相当ストレスなはず。心の中ではとれてるのに、それが言葉にならないんだもの。言葉にできないんだもの。

ぼくはアトピーっていう免疫系疾患で、肌が常にあれてるんだけど小さいころはそれでいじめられたりもしたし、人前に立てなくなったこともある。それであることないこと言われたりしたこともある。

でも、ぼくらは悪気あってそうなってるわけではない。でも、その気持ちは伝わらないんだよね。残念ながら。その声は、みんなに届かない。

それで社会の隅で生きることになってる人は、けっこういるはずだ。命に関わることはないけど、精神的に死ぬのがこれらの特徴。この記事で、多くの人が元気になることを願ってる。橋本さんの活動は本当に素晴らしいから、ぜひ彼のブログも覗いてみて欲しい。今後の活躍に期待だ。

寿ぶろぐ