平成28年熊本地震を経験して、おとなり長崎県島原市から感じたこと

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出典:http://buzz-plus.com/article/2016/04/15/kumamoto-jishin-dema/

なにげないいつもの夜の突然なりひびいた音。ギュインギュインって仰々しい音とともに「ズズズ…」と地響きがしたと同時に、一気に揺れた。昨日の夜のことだ。21:26の出来事。

その日はいろいろあったわけだけど、まさかこんなことが起きるとは…といった感じだ。そこで感じたことを備忘録がてら書いておく。

なにげない日常に突然悪夢は起こる

その日は天気がよく、昼間はのんびり家族と温泉に入りに行って、散歩して買い物して帰ってきた。そのままご飯も食べて、あとは風呂入って寝る…というなにげない毎日だった。そのまま1日終わるな〜と思ったら地震発生。

予震もなしに急にドッカンときたもんだ。

本当に未来ってわからない。まあ、ぼくのすんでる島原市は被害は特段なかったが震度5強くらいはあったかな。もし震源地が海挟んでたら、ぼくがその被害を被ってたかもしれないと考えると恐ろしい。フェリーで30分ほどの距離で大地震があったわけだ。

悪夢というのはいつもすぐ目の前に隠れてるのかも。

人間には危機を感じる機能があるのかもしれない

地震が起こる1時間前、ぼくは料理してた。その人晩御飯はたけのこの煮付けと、鳥軟骨とアスパラとえのきのバター炒めと米とか汁だ。んで、そのとき体調がすこぶる悪かった。急に全身がカーっと熱くなって、身体中が火照って熱っぽくなった。全身真っ赤になった。文字通り真っ赤だ。

意味わかんなかったけど強烈な眠気に襲われた。日焼けや温泉の効果だったのか知らないけど、30分くらいきつかった。で、地震が起きてからは普通に戻った。

子供(1歳)もひたすら泣いていた。眠いのかなんなのかわからないけどひたすら泣いていた。地震が起きると普通になった。

動物は地震を察知する

よく大地震前は動物が騒がしくなる…というがそんな感じのが人間にあるんかもしれない。とにかく体が異常な反応を示してた。かゆくもなかったのでアレルギー反応やアトピーは関係なさそうだ。

もしかしたら敏感な体質だからそういう微細な変化をとらえてたのかも。

動物も人間には見えないものや音が聞こえるというからそういうに近いのが赤ちゃんや敏感な体質(ぼくは肌が最高に敏感)の人にはあるのかもしれない。今後はそういう感覚を大事にしよう。割と体は知ってるのかも。

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やっぱり金はどうでもいい

地震真っ最中、ぼくはFXでエントリーしていた。そして、そしてだ、地震きた瞬間スットーン!と落ちた。笑

それが地震の影響で円売りが入ったのかは謎だけれどきれーに、そうきれーにストーンと落ちた。んでロスカット。まあ大した損失ではないけれど。こういうときに損きり設定って大事だな…と感じる。

でもおもしろいんだけど、身体的危機がきてるときってどうでもよくなるのね。全然損失が気にならない。「お金」っていう概念がなくなる。金は命に比べたらカスみたいなもんだ。金は時間に比べたらクソみたいなもんだ。

金は失ったけど、体が傷つかなくってよかった。金は取り戻せるけど時間と命や体は取り返しつかないことの方が多い。

金でなにか救えるなら、使えばいい

ぼくには九州に仲間が多数いる。お世話になってる企業様のお仲間の方々だけれど、まあ仲良くしてくれてるからぼくは仲間だと思ってる。

熊本の人もいるようだ。幸い別状はなかったようだけどなんかあったら金を送るでもなんか買って送るでもなんでもしようと思った次第だ。知らない誰かのためにはあんまり気乗りしないし、寄付とか使い道クリアじゃないとやだけどダイレクト知人なら使えるな…と思った。金の価値がさらに落ちた。

やはり現物資産が持たないほうがいい

ぼくは「見えないもの、形ないもの」を大事にしている。なぜなら壊れないからだ。

ビジネスでもなんでも、形あるものはいつか形を失う。栄枯盛衰という言葉の通り、目に見えて栄えるものはいつか衰退する。例えば不動産や土地を熊本に持っていたら、きっと不動産は破損したちなどなどで価値を失うだろう。

仮に原発近くに土地などを持っていて、原発事故などが起きたら実際どうであれイメージだけでその土地の価値は暴落する。そうなると資産ではなくなってしまう。

形あるものは形をなくしたら価値を失う。見えるものは見え方が変わったら価値をなくしてしまう。でもそもそも見えないもの、形のないものは、それに価値を含んでないから自在に変えることができる。

つながり、精神資産、脳内資産、身体的資産などを強化する

この見えない資産をいかに大きく構築しておくかが大事だと感じる。壊れないものは壊せない。目立って羨望をうけることもないけど、その代わり普遍的なもの。

1. つながり

ぼくはつながりは少ないが、深さには自信がある。そういううすいつながりよりも深いけど狭いつながりを大事にしたい。いつかなにかあったときにきっと動いてくれるのはうすいつながりではなく深い、濃いつながりだ。

そういうつながりを増やしたいから人には対等に接して自分から一歩踏み込むことにしてる。つながりは見えないから、第三者に壊されることはあまりない。だから家族は特に大事だ。

2. 精神世界の資産を構築する

精神的な資産はメンタル的な修行というか、いろいろ受け入れる広さと深さを持っていればなにかあったときに冷静に対処することも自暴自棄になることもなくなる。そのために思考のレベルや許容のレベルや発信のレベルを常にあげておこう。

3. 脳内資産

脳内にあるものは死なない限り壊れない。未来は脳内のデータをネットに保存して電子として生かすこともできるはずだ。AIみたいに。脳も電子回路だからだ。

だから脳内に資産をたくさん蓄えておく。知識、スキル。記憶力や思考力。それらすべては今のところ死ななければなくならないし再現可能だ。今いる場所が災害に見舞われても使うことができる。

4. 身体的資産

これは単純に肉体を鍛えようってことだ。いつかなにかあったときに肉体的な強さって大事になる。災害時にはやっぱり早く走れた方が強いし、力があれば誰かを抱えて長距離走ることもできるし、重いものを持ち上げることもできる。

今のすぐ疲れるし眠くなる体じゃダメだな…と思った。有事のときに子供とパートナーかかえて10kmくらい走れないとダメだわ。

原始時代は正直体の強いものが強かった。人は文明と経済やネットがなくなったらやっぱり体の強いものが最強だと感じる。人は素手ではライオンには勝てない。武器や文明があるから人間は強いだけだ。人間間でもそれは言える。どんな経済力のある人間でも、肉体同士のぶつかり合いだったら空手3段の人には簡単に倒される。それが本質。

ということでジム通うかな。

なにげない日常はもはや非日常だってこと

東日本大震災のときも今回の熊本地震でも、日常は一瞬にして非日常に変わることが明確化されてる。

震災に見舞われたひとにとって、一気に明日からが非日常に変わる。そして、今度は非日常の毎日、テレビで見てた非日常が日常になり、今までの日常が非日常になる。家があることが非日常になり、家族がいることも非日常になる。

今まで通り帰る場所があり、仕事があり、家族がいたことが非日常になるのだ。

そう考えると、今現在の日常は「そもそも非日常だ」ということになる。そもそも非日常なのだ。つまり日常とは非常に曖昧でもろいもの。

でも、その日常が退屈だから非日常に逃げようとしてないものねだりする

よくある人間の欲求だ。「旅して暮らしたいなあ…」とか「こんな生き方したいなあ…」っていうあれだ。それがあるから、なにかに憧れ誰かに金を無駄に払ったり、今の生き方を相対的に卑下してしまう。

でもそもそも論として、今のあなたの日常ってのは非日常なのだ。その日常が非日常なひとが同じ日本にもいて、かつ明日あなたのその日常が非日常になるかもしれないわけだ。

それなのにあなたはなにを求める?非日常をいつも生きてるのに、それ以上なにを求める?ヒキコモリズムのなんてことない自宅での日常は、震災で自宅を失ったひとにとっては非日常なのだ。これ以上贅沢な日常があるだろうか?

熊本地震、明日は我が身かもしれない

実際島原は雲仙断層帯というものがある。誘発の可能性は全然ある。なんせ今回の熊本は海を挟んでフェリーで30分程度の距離だからだ。もちろん、全く関係ないどこかでまたくるかもしれない。あるとすれば四国方面かな。

誰も熊本に大地震がくるなんて思ってなかったはず。ぼくもだ。というか都内の地震回避のためにこっちきたんだけど…

そう考えると、どこにいこうが危機はすぐそこに来てる。地震だけじゃなくっても。ぼらの日常が非日常に変わるのは明日かもしれない。今日かもしれない。

だからいろんな意味でなにが来ても大丈夫なように準備しておこう。