幸せになるために人生で経験しとくべき3つの変化は「社畜・子育て・無収入」だ

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プロ引きこもりのヒキコモリズム井上(@luckyman0302)だ。

人生はなるべく楽しく、苦労もなく…ってのが最高なんだけれど、実際それだけだと人生を本当の意味では楽しめないと僕は感じてる。例えば、人間の欲には上限がないので、ポジティブ方面で考えすぎると天井がないわけだ。

「どこまで人生ハッピーならいいんだろう?」と。

これは完全に個人的見解なんだけど、人生に置ける期待値が低ければ低いほど、人は幸せになれる…と僕は思ってる。期待値の高すぎる人生は、その通りにならないとしんどい。けど人生ってなかなか期待通りにはいかないものだ。逆に期待値が低いと、普通にすら幸せを感じることができる。

プラスの経験だけでなく、マイナスの経験は、あなたの人生をきっといいものにする。

幸せのボトムを下げることで幸福感を感じるようになる。

人間には欲があって、その欲は青天井。止まることはない。

便利になればもっと便利な世の中を望むし、お金を稼げばもっとお金が欲しくなる。欲しいものはなくなることはない。「もっと…もっと…」の繰り返しで、死ぬまでそれが続くことがほとんどだ。もちろん、その欲のおかげで今の社会まで発展したのは事実。

でも、今の時代ってこれ以上になる必要はあるんだろうか?

衣食住は十分だ。それ以上生きるに必要なことは事実、ない。人工知能だとかそういうのも、生活を豊かにするけど、そこまで行かなくても十分今の世の中は豊かだろうと思ってる。その金があるなら、十分な衣食住をえてない人のサポートの当てられないものだろうかと。

あの日感じた幸福感は、いつか「当たり前」になる。

当然になったものに幸福感は感じないものだ。長く一緒にいる家族は「いて当然」となるように。いつかあった「特別感」というものは消える。失って初めてわかる…っていうでしょ?

人には「慣れ」というものがあり、これによって一時はすごい幸福感を味合うけどすぐにそこにアジャストされてしまう。初めて彼女ができて舞い上がって3ヵ月後には「当たり前」になる。そして今の彼女にはないものを持ってる女性に興味ができて、倦怠期がくる。

人生は、人はいつまでもないものねだりのリレーを繰り返す。すでにあるものは忘れてしまう。

足元を知ること、底辺を知ること。普通が普通でないと知ること。

僕は今の時代で幸福感を感じるにはこれが大事だと確信してる。今の時代はどこを見てもきらびやかだ。そしてそれを推奨するかのようにメディアは華やかな世界を取り上げて一般人の憧れを喚起する。消費させる。

でも、もしかしたら僕らはすでに幸せだったりする。十分、幸せな状態である可能性が高い

それを知るためには僕はボトムの体験が必要だと思ってる。僕は幸いにも(?)これを生まれつき&10代後半で経験できたから、幸せに対してのボトムがものすごい低い。家があって、仕事があって、生活できる金があれば十分幸福だなーと感じる。

ヒキコモリズムの例

こちらの動画にもあるんだけど、僕はなんてことない中流階級の家に生まれ育った。

金銭的にはお小遣いもあったし恵まれてた。両親は勉強しろとはうるさいけど、暴力もなければ欲しいものは基本的には与えられていたし、教育もいい感じに受けていた。なので幸せのボトムがめちゃくちゃ高かった。もっともっと…と常に思ってた。

それにあぐらを書いて大学生になったんだけど、大学をやめてからが底辺生活の始まり。金もないわ、仕事もないわでさあ大変。親にはもう頼れない。

今までの幸福は全て偶然だったんだ…と。卵巣の宝くじでそれなりのあたりを引いてたからだったんだ…と痛感したわけだ。そこで、今まで「普通」だったことが普通じゃなかったことを知った。当然のように飯が食えてたことも、学校に通ってたことも、家に水と電気が流れてることも。

また僕は生まれつき皮膚の病気なんだけど、そこだけは物心着くときには普通以下なんだ…と知っていた。なのでどんな不摂生しても肌がきれいな人が「肌荒れしたー」とか言ってても「どこが?」という感覚だ。なので見た目に対しての幸福感のボトムは基本的に最低クラスだ。

例えば生まれながらにして美肌の人は肌の幸福感のボトムが高いため、あれたら不幸を感じる。けど、それが低い僕は少し肌がよくなるだけで幸せだ。これが幸福感の平均値。

ひきこ
この経験から僕は全てに置いて幸福感の平均値がグッと下がったから、今は不幸感を感じることがほぼない。他人が「で?」と思うことでもけっこう嬉しかったりする

人生で経験しとくべき3つの変化は「社畜・子育て・無収入」

人は楽しさや楽さの方が好きだから、みんなそっちを求める。なるべく大変なことは避けようとする。それは別に悪いことではない。けど、なんだろう。何も大変な思いをしたことない人間って、個人的には薄さを感じてならない

苦労すればいい!って言いたいわけではないけど、でも人生の幅としてそういう時期があるのは意外と大事なんじゃなかろうかと。そして底を経験することで、普通というのがとんでもない価値を持ってるものなんだと知る。特別なんてなくていいとわかる。

これはどこかで聞いたんだけど、経営者の方いわく人間が変わる時は「破産(倒産)、離婚、逮捕」だそうだ。実際今の世の中で名のしれてる人って大抵これを経験してる。

  • 例えばホリエモンさん:逮捕
  • 与沢翼さん:逮捕、倒産
  • 家入一真さん:破産(とういうか大金)

みたいな。

社畜を経験することで、仕事の尊さを知る

ブラック労働、社畜。これが別にいいこととは思ってない。当たり前だけど、効率よく生産することは大事だ。

でも、なんだろう。この概念にあぐらを書いて「仕事をしたくないの正当化」をしてる人が多いように感じる。単純に働きたくないだけで、とは言って辞める勇気もない人が騒いでるーみたいな。でも中にはそんな仕事にすらありつけず日雇いやってる人もいるわけだ。家族を支えるために踏ん張ってる人もいる。

「それでも働くことができてる。仕事をもらえてる」

とプラスで考えてる人はどれくらいいるんだろう?その仕事は、あって当然なんだろうか?もし明日クビになったら「ブラック企業クッソww」って言い続けられるんだろうか?

僕は社畜を実際経験したけど、それがあったから当時の家庭を支えることができた。まあ最後は離婚したけど、大学中退でノースキルな自分を雇ってくれ、給料をくれ、指導してくれることにただありがたさを感じてた。そしてその中で出世して行けることがうれしかった。

大卒じゃないとはいれない企業には、そんなことはできない。

子育てを経験することで、家族や時間の尊さを知る

現代は「結婚はしない一生独身主義」が流行ってる。一人で生きて行けるんだから一人でいた方が楽しくね?的な。前は僕もそうだった。ちなみに今は事実婚で子育てをしてる。

子育てを経験することで価値観が大きく変わる

僕はフリーになって子育てをするまで心のどこかで家族は邪魔と思ってた。それまでは仕事づくしだったので、一人の時間が欲しくて家族はたまに邪魔になっていたし、子育ては母親の仕事だと思っていた。あたりまえだと。

でも実際今のスタイルになって、自分で子育てをするようになり、母親のすごさをしみじみと感じてるし、こんなの一人じゃ絶対無理…と実感。それによって、家族への見方が代わり「なくてはならないもの」になった。ふつうに子育て楽しいし、子供かわいいしね。

ひとりの時間は確かに少なくなる。だからこそ時間って大事だなーと感じられるようになった。限られた時間のなかでいかにやりたいようにやるか?的な。

時間や家族に対しての幸せの平均値が下がった。いるだけでいい。あるだけでいい。

無収入を経験することで、自分の無力さとお金の尊さを知る

こんなのならない方がいいんだけど。笑

でもなったらなったで学ぶことは多くなるし。体感として「普通の生活がいかにすごいか?」がわかる。収入がないのにカードや家賃の支払いをするプレッシャー。食べたいものが食べられない苦しさ。電気ガス水道が止まるとどんなに困るか。

当たり前に使ってたものが全て使えなくなる瞬間。いつから水はいつでも流れてくると錯覚していた?と

そしてどうにもならないみじめさと、逆にお金ってこんなに生活維持に必要なものなんだと。当たり前だけど「金ないけど家に住まわせてください」とか「お金払えないけど電気使わせてください」ってのも拒否られる。知人の家に転がりこむこともできるけど「お金ないけど飯は食わせて」なんて関係は長くは持たない。

お金がなくても幸せになれるはウソだよ。ある程度ないと幸せにはなれへん。

幸せの平均値を下げておこう。それが人生で幸福になる唯一の近道だ。そうすれば「今、この時」がそもそも幸せだったことに気づくよ。