今後必要なのは「稼ぐ力<<<<応援される力」だと痛感した

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どうも!プロ引きこもりのヒキコモリズム井上(@luckyman0302)だ。

ぼくは一般的には稼いでる属性らしい。ブログでも家族養えるくらいの収益はあげているし、今は飯食うのに困るような状態からは抜けている。「稼ぐ」という行為にかんしてはある程度つかんだな…という感じだ。独立したてのころはしんどかったけどね。

ただ、ここ最近時代がかわってきてるな…と感じざるをえない。稼いでるぼくだからいうけど、今の時代はもう「稼ぐ力<応援される力」だ。最近これを痛感して、自分自身を見直すことをせざるとえなくなった。

稼ぐ力よりパワフルな力=応援される力

ぼくのなかの定義だけれど、稼ぐという行為には「等価交換」の方程式がある。最低でも等価交換でないといけないというものだ。こまかいことを言えば等価交換以上の価値提供が必要なんだけど、とりあえずはそうしておく。

  • いただく報酬=提供する価値

ということ。つまり、提供する価値のレベルを上げない限りはいただく報酬もあがらない。逆に、価値が下がればあたりまえだけど、報酬も下がる。価値というものは相対的なものだから、文化や時代、人の考えかたが変われば変動する。

つまり等価交換が前提とされる「稼ぐ」という行為は、価値の為替の影響をもろにうけるってことだ。自分の価値が下がったり、自分の提供できる価値に価値がなくなったら、稼げなくなる。

稼ぐ力をつけることが大事…と声高に叫ばれているが、稼ぐ力というのは決して万能ではないということだ。外部要因の影響をばりばりうけるし、稼げなくなることなんて多々ある。理不尽な理由でそうなることだってある。

「応援」は寄付やお布施に近い

かたや応援というものは、等価交換の方程式が当てはまらない。どっちかといえば寄付やお賽銭やお布施に近い意味あいがある。交換ではなく「ただ本人がそこにはらいたいから、払う」という完全に投げゼニ的感覚で行われるものだ。

我が子を応援するのに「こいつを応援すればあとでこんな形で返してもらえるだろう」なんて思う親はいないだろう。いるかもしれないけどね。ただ純粋に「応援したいから!」応援するはずだ。

つまり応援ってのは、完全一方通行的なものなのだ。そこに等価交換だとか、見返りという概念は基本としてない。

俺がしたいからする。お前は勝手にされてろ。

という方程式がなりたつわけだ。あきらかに、応援される方がすごいことなのだ。だって、交換ではないのだから。

「応援する気持ちでお金くれ」といってもらえる人、どんだけいる?

極端な例を出すと、道端で商売してお金をもらうのと、道端でただただお金をもらうのではどっちがむずかしいだろうか?

商売してお金をもらう=稼ぐのであれば、なにかしら商品さえあればできそうではないだろうか?ガムを10種類買って、1枚1枚ばらして、それをまとめたオリジナルのガムを105円で売ったら、買ってくれそうじゃない?なんせ、10種類の味が一気にたのしめる「価値」があるからだ。

逆に、なんの商品もなしに「応援してくれ!」でお金を払ってもらうとしたら、どうだろうか?ぼくは自分でイメージして、こう思った。

できる気がしない

と。「応援してくれ!」という言葉には原則として価値がない。相手に実利がないのだ。かといって「こういうことしたいからお金をください」と叫んでも、それでもおそらく道端でお金を手に入れるのはハードだろう。ストリートミュージシャンのギターケースに大金が入ってることは稀なことからもわかるはず。

つまり、今までは単純に「稼ぐ力」の方が早く、簡単だった。

クラウドファンディングとインターネットがそれを変えた

最近はやりのクラウドファンディング。

お金の必要なクリエイターや起業家、一般人が、お金を集めるための仕組み。そして、ブログなどの仕組みができたことで、この「応援される力」の重要性が一気に高まり、応援される人の活躍の場が一気にひらかれたように感じる。

ここでは出資の代わりにリターンを提供することになってるんだけど、そのリターン目的で出資する人は意外と少なかったりする。ぼくもそうだ。「応援したいから」応援することの方が多い。しかも基本的にはリターンは原価のないものも多い。

さらにその団体や個人がSNSやブログを運用することで、より応援されやすい土台ができている。バイラルも起きる。

増える「信用持ち」という富豪たち

ここで新しい裕福層がでてきた。それは金稼ぎがうまい金持ちではなく、たくさんの人から応援されることで活躍し、生活する「信用持ち」だ。

今までビジネスの世界では目がでなかった人たちが、この仕組みを使って一気に豊かになっているし、なる人が増えた。この人たちはサービスを提供する代わりにお金をいただくのではなく、信用を積むことで、お金を投げてもらえる人たちだ。

などなど、等価交換のルールをぶっ壊してるすんごい人たちが、増えてきてる。ぼくの主催してるブログサロンの中にいる人も、クラファン開始7日間で100万円超のファンディングを受けてる人もいる。これはぼくのブログ収益と同額ほどだ。ぼくは1ヶ月、彼は7日間。この差はおおきい。

稼ぐと応援ではお金を投じる人の姿勢が違う

前に例にだした信用持ちは、お金を払う人が最初から喜んで支払う。ファンディングする。その人がはらいたいからだ。でも、商売でなりたつ金持ちのお客さんは、ほんとうに喜べる商品かどうか?は支払ってからでないとわからない。つまりある程度の猜疑心を持ちながらお金をしはらうのだ。

どっちがより高度なのか?は明らかだろう。応援される信用持ちは、マーケティングもクソもないわけだ。神社はお賽銭をもらうのにマーケティングもセールスもしていない。ぜんぶ一般客がそうしたくてあの箱に投げゼニするのだ。

今後生き残るのは、応援される人

ビジネスはもろに栄枯盛衰だ。どんな商才のあるひとでも、手を替え品を替えて回していって収益を増やして安定させていく。ひとつのことで未来永劫食っていくことはできない。つまりそのうち終わるわけだ。今の時代、5年あれば世界は変わっちゃうんだから。

だからビジネスとしてお金持ちを目指す人は、基本的にはいつでも戦う必要がある。為替が崩壊しても、通貨がかわっても、それを稼ぐためにあの手この手を考えていくわけだ。

応援される人は、関係ない

応援される人は商売ではないから、自分が応援されるべく人間である限り、応援されつづける。むしろ応援者が応援者を呼んでどんどん渦がでかくなってる印象さえある。

この人らは、時代がかわってもその場そのときに応じた応援により、必要なものを仕入れる。日本で円が必要なら円を。タイでバーツが必要ならバーツを。資本主義崩壊して、お金の価値がなくなったら、食べ物を。そのときの価値を、応援ということで受け取ることができる。

どっちが息が長いかなんて誰でもわかるはずだ。

今後はマネタイズ力より、チアタイズ力を身につけるべし!

これからの時代はより便利になって、サービスにお金を払う..という文化がなくなる可能性もある。または、そのサービスは人間ではないなにかが人間以上のクオリティでやることとなり、人間が絡まないからより価格も安くなっていく…みたいな。よって、人間が作り出すサービスは売れなくなる。

そういうとき、人はどこにお金を出すのだろうか?

ぼくは「こいつおもしろそうだな」というところに流れていくとおもっている。今後インターネットやクラファンの仕組みがもっと発達していけば、簡単におもしろそうな人が見つけられるわけで。そうなったら、フォロワーを多く抱えていて、応援されるような人が生き残るようになるんだろう。

今後はいかに稼げる自分になるかよりも、いかに応援される存在になるかが鍵になるんだなと痛感。さて、俺はどうしようかな。

>>応援される奴が最強説